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北海道マラソン完走記
2008年 09月 02日 |
まずは前日のナンバーカードの引き換えから。引き換えの会場はパークホテルですが、パークホテルに入ったときから軽く緊張。やはり回りのランナーのオーラがそれまで出た大会とは違いすぎます。職場の走友会の先輩たちの分も代理で引き換え会場をでました。で、明日ゴールするであろう中島公園へ。

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中島公園の入口で明日は必ずここまで自分の足でたどり着くぞと心に誓いました。そして、公園の中へ。明日、出場するであろう、たくさんのランナーがジョギングしていましたが、ジョグのペースが速い。私など前日はとても走る気になりませんが、みなさん黙々と走っておりました。かなり緊張。で、更に奥へ進みゴールゲートへ。
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何としてもゴールしたい。ここまできたら絶対ゴールしてやる!とモチベーションが上がりまくります。

その後、家族や義父母と明日の捕食受け取りポイントの綿密な打ち合わせをし、走友会のメンバーと合流。総勢4名でホテルの大部屋を借りて泊まりました。私以外の3人は酒が好きですが、さすがに前日は飲みません。ということで、することもなくなり、9時には消灯。早すぎるなあと思いながらもいつの間にか眠りについていました。が、ウォーターローディング(脱水症状を防ぐために数日前から積極的に水分を取る調整法)の効果いや弊害で0時にトイレに起きたのが最後、その後は気持ちの高ぶりを抑えることが出来ず、とうとう朝まで眠ることができませんでした・・・。睡眠時間3時間・・・夏のマラソンを走るというのに、のっけから厳しい状況となってしまいました。

朝は曇り空で涼しく、「本当に27度まで上がるのかね」とメンバーと話をしていましたが、真駒内に着き競技場まで歩いている間にどんどん暑くなるのが分かりました。「やっぱり北海道マラソンだね」という声があちらこちらから聞こえてきます。睡眠不足に蒸し暑さ、トンでもないことになりました。

軽くジョグって、ストレッチして、乳○に絆創膏を張り(これが重要)、ランシャツに着替え、バナナにカーボショッツ(捕食)を取り、荷物を預け、スタート地点へ。過去に実績のない私のナンバーカードは5000番台。エントリー数が5300人ですから、スタートの整列は最後尾です。スタートの号砲が鳴ってから、スタート地点までたどり着くまでのロスタイムが大変気になります。40キロ関門であと数秒で辿り着けなかった・・・もしそうなった場合のことを考えるとこのスタートのロスの持つ影響力は凄いものになります。

○スタート~5キロ(29分05秒 3431位)
スタート地点に整列したはいいですが、それから炎天下の中を20分ほど待つことになりました。最初は木陰でよかったですが、列が微妙に動いたりして、木陰を外れてしまいました。スタート前からこれでは先が思いやられます。で、そうこうしているうちにスタート。微妙にストップウォッチを押すのが遅れる・・・。なかなか列が動きません。まだ動かない。少し動いた。1分半。こりゃ2分以上かかるなと思っていたらあっさり2分経過。3分を覚悟しましたが、その後は結構動いて2分半でスタートラインを通過。しかし、狭い公園路をしばらく走るのでなかなかペースが上がりません。1キロ通過5分40秒。でも、全然OKです。とにかく最初は我慢。絶対に突っ込まないと決めていました。その後も我慢して5キロまで5分10~15秒ペースを維持。調子の良さを実感。

○5キロ~10キロ(26分02秒 3268位(↑168位))
最初の給水は5キロ過ぎ。このあたりではまだばらけていないので、やはり凄いものがありました。給水が追いつかないので、足踏み状態で待たなければなりません。落ち着いて自分の番を待ちます。よし、俺の番と水を受け取ろうとすると私の手より先に後ろの人の手がコップをつかみました。で、次のコップもその次の人に取られました。そうしている間に押されてもらい損ねるのでは!と思った瞬間、次のコップが!で同時に次の手も。ここは何としても力ずくでも奪い取ってやる!と気合を入れて奪い取りました(笑)。しかし、ここで数秒のロス。私は人が良すぎました・・・。ここからは下りになりますが、とにかく自重しました。6、7、8キロと5分20秒で刻み、9、10キロは上げて5分ちょっと。我慢我慢、とにかく我慢です。

○10キロ~15キロ(25分48秒 3060位(↑208位))
平岸街道に入ると沿道の応援も賑やかに。ブラスバンド演奏に気分がハイになるも、ここも冷静に今までのペースを保ちました。麺eijiさんを右手に見て、「今日は商売あがったりなんだろうなあ」と余計な心配をしつつ、気持ちよく走っていると・・・太鼓が!実は私、太鼓やバスドラなど重低音が繰り返し鳴るのがダメなのです。WPW症候群という先天性の心臓疾患持ちの私は太鼓の音が心臓の鼓動と重なって発作を誘発してしまいます。それも寝不足のときほどそうなりやすいのです。かといって、耳を押さえながら走るのも折角応援してくれている太鼓の叩き手に失礼。ここはペースを少し上げて乗り切りました。でも、ちょっとやばかったです。来年走ることがあれば耳栓は必須アイテムかも。そして、学園前から菊水へ。菊水駅のところでふくらはぎに異変が。ちょっと張りが強く、一瞬ピクつきました。痙攣の前兆です。ちょっと早すぎだよとあせりつつも、それまでは胃にたまりやすいスポーツドリンクは少量しか取らず水を多めに飲んできたので、以降はドリンクも多めにとることに。とりあえず、ナンバーカードにホッチキス止めしておいた小さいビニール袋からアスリートソルト4粒を取り補給しました。

○15キロ~20キロ(26分19秒 2837位(↑223位))
一条大橋を渡ったところで、ランパンにつけたポケット(要らない靴下を縫いつけた)に忍ばせておいたカーボショッツを補給。これまで試した中でこのカーボショッツがいい感じだったので、今回の捕食はこれに決めました。東区役所前を通り更に北上、北24条で西に進路をとります。ここでもキロ5分10秒ちょっとをキープ。20キロ手前では妻と息子と娘が待っていることになっています。とりあえずは家族のところまでは行けるなと思うと一安心。24条で左折してからは家族の応援を受けるべく沿道よりの位置で走りました。そして、約束のポイントに家族を発見!
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息子からカーボショッツを水に溶かしたボトルを受け取りました。が、これが恐ろしく温くて不味い。気持ち悪くなり3分の2飲んで捨てました。
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こちらは私が通過するより50分ほど前の様子。男子優勝の高見沢選手がリチャード・マイヨ選手を捕らえたところ。

○20キロ~25キロ(26分47秒 2571位(↑266位))
20キロを過ぎてすぐ、気がつくと隣に走友会の先輩が走っていました。先輩はナンバーが若く、スタート時で既にかなり離れているので、追いつくとは思っていなかっただけに驚きました。既に辛いようなことを言っていました。私はそのままのペースで先輩を抜きました。が、そのあと先輩は息を吹き返し、25キロ付近で気づくと前にいて、もう追いつくことは出来ませんでした。新琴似一番通は直線の長さにうんざりさせられました。遥かかなたまでランナーの群集が見えました。あんなところまで走らなければならないのかと思うと気がめげてしまいます。が、やはり北海道マラソンです。沿道の応援から力をもらいました。

○25キロ~30キロ(27分10秒 2280位(↑291位))
長くて退屈な新琴似一番通をなんとか走りぬき追分通へ。第2折り返し後の30キロ手前には妻の両親が応援してくれることになっていました。事前に「もしかしたら辿り着けないかも・・・」と話していましたが、それでも構わないからと捕食を持って行ってくれたのです。何とか面目はたったなとここでも一安心。そして、義父からこれまた温いカーボショッツ水入りボトルと35キロくらいで取る予定のカーボショッツを受け取り、ここで完走を確信しました。ペースこそ落ちているけど、30キロでこれだけ脚が残っていれば大丈夫だと。

○30キロ~35キロ(27分34秒 2026位(↑254位))
30キロで完走を確信したのもつかの間、再び新琴似一番通に入るとやはり辛くなってきました。まず、大臀筋に張りが出てきました。千歳マラソンでは28キロ地点で大臀筋が張って、走られなくなったので、今回もやはりダメなのかと思いましたが、脚は前に出ました。その後ハムストリングが張り、ふくらはぎもパンパンに張ってきました。ふくらはぎが痙攣したんでしょう、そこらじゅうでストレッチをしたり、沿道の人からエアサロをスプレーしてもらうランナーが増えてきました。自分もそうなるのではないかという不安と戦いつつ、なるべく蹴りを抑えてペースも疲れに任せて落としました。落としてもまだまだ関門には引っかりません。思いのほか貯金が出来ていました。とにかく今回は完走にこだわることにし、脚に負担をかけないことだけを心掛けました。35キロ手前で義父から受け取っていた最後のカーボショッツを補給しました。水分補給とエネルギー補給は自分の思い通りにいきました。

○35キロ~40キロ(28分32秒 1811位 ↑215位))
石山通を走るこの区間が一番きつかったです。さすがにここまでくると歩いている人も多くなります。が、全く歩きたいとは思いませんでした。辛いけど気持ちは充実していました。ふくらはぎはパンパン、腰は完全に落ち、ペースも間違いなく落ちていましたが自分的には走れている、進んでいる感覚がありました。それは確実に前のランナーを拾えているからでした。最初に自重したのが正解でした。最初の5キロで抜かれまくったおかげでその後はずっと抜かし続けました。そして、それはゴールまで続き、実に1700人ものランナーを抜くことになりました。最後まで気持ちが続いて自分は走れているという良い意味での錯覚(勘違い)に陥った要因はこれだと思います。更には、この5キロは「苦しいけどみんなで頑張って中島公園を目指そう!」というランナー同士の一体感のようなものがありました。もちろんお互い顔を合わさなければ、声も交わしませんが、無言の一体感、それに引っ張られるように最終関門に向かって走り続けました。そんなことで、一番苦しかったこの区間でさえ1キロ1キロはそう遠く感じませんでした。絶対にゴールできる!そう思うと鳥肌が立ちました。あるいは武者震いだったのでしょうか。大通に入るとそれまでかけていたサングラスを外し帽子のつばに掛けなおしました(沿道の応援が増えたので)。そして、無事40キロ関門を突破!軽くガッツポーズ。

○40キロ~ゴール
最後は大通から駅前通を走り抜けるビクトリーラン。沿道には(迷惑そうな人、冷たい視線を向ける人を含め)たくさんの人がいます。その中を駆け抜ける(というほどのスピードはない)のは最高の気分でした。疲れていましたが、惰性で脚は前に出ました。そして、前日必ず自分の足で辿り着くと誓った中島公園へ。感激のあまりウルッときます。そして、家族の応援がそこにもありました。この夏は自分のランが中心になって大した家族サービスも出来なかっただけに、家族に中島公園で迎えてもらうことが出来て本当に良かったとまたウルウルしていると、目前にゴールゲートが!3時間50分を切るタイムでゴール!北海道マラソン完走、そして、フル2戦目でサブフォーを達成しました。ゲートをくぐり走りを止めると、自分の脚とは思えない感覚が・・・。これがフルを走りぬいた脚の感覚なのかとかつて感じたことのない感覚に驚き、でもフルを走りぬいたということなんだなと充実感が込み上げてきました。そして、ボーイスカウトの少年から完走メダルをかけてもらい、また感激。2週間前に走った千歳の青葉公園マラソンの完走メダルとは重みが違います(そりゃそうだ・・・っていうか記録証未だに届かず・・・)。先にゴールしているであろう先輩の姿を探すと、いました。二人でがっちり握手。そして、あとの二人のメンバーの完走を待ちます。4時もかなりの時間を過ぎ、もう完走は無理かなと思った瞬間、ひとりの先輩がメダルをかけて辛そうな表情でやってきました。40キロ関門をギリギリで通過とのこと。これには自分の完走以上に感激しました。もうひとりの先輩が完走できなかったのが残念でしたが、厳しいコンディションの中、みんな本当に頑張ったと思います。

今年の元旦の新聞に北海道マラソンの規模拡大の記事を見たとき、これはもうおちおちしていられないと思いました。夏の厳しいコンディションと厳しい関門があるからこそ、そんな厳しい北海道マラソンだからこそ、完走することにステータスを感じ、日々努力しているランナーは多いと思います。それが、関門がゆるくなり参加者が増えるとなると、それまでのステータスはなくなってしまいます。「あのときの北海道マラソン」になってしまいます。だから、いずれ「あのときの北海道マラソン」と言われるであろう北海道マラソンを今のうちに走り完走しなければと思いました。で、大した練習もしないであわてて出た初のフルマラソン、JAL千歳マラソンで叩きのめされ、それから3ヵ月気持ちを入れ替えて走りました。3ヶ月は短いようで十分に時間がありました。学生時代に学んだピリオダイゼーション(期分け)が生きました。最初の1ヶ月はフォームの改善に励みました。ペースも距離も落として、とにかく腰は高い位置で骨盤を意識して走る。出来てないかも知れないけどとにかく意識する。足の短い私は腰高フォームを意識しても腰が高くなりません(苦笑)し、そもそも無理な姿勢で走るのですからこれは結構辛かったですし、面白くないし、何より走っていても気持ちよくありません。でも、1ヶ月我慢してとにかくそれだけを意識しているうちに、何となく今までにない進む感覚を感じられるようになりました。そして、それまで悩まされた膝痛がこのころから嘘のようになくなりました。次の1ヶ月はとにかく走りこみ。これまでと同じくスピードは落として距離だけ延ばしました。途中、高熱で1週間走られなかったのが痛かったですが、結果的にはいい休養になったのかも知れません。最後の1ヶ月はこの2ヶ月で少しはついたであろう持久力をスピードに転嫁することと、距離を落として疲労を抜くことを意識しました(結果的には一番走った月になりましが・・・)。こうして、睡眠不足を除いてはベストの状態で当日を迎えることができ、これぞ北海道マラソンというような厳しいコンディションの北海道マラソンを、「あのときの北海道マラソン」と言われるであろう北海道マラソンを滑り込みセーフで完走することができました。そして、今朝の新聞で「あのときの北海道マラソン」になる日がくることがいよいよ現実味を帯びてきました。

来年の北海道マラソンはどうなっているのか分かりません。個人的には、今までの北海道マラソンを今後も継続して欲しいと思いますが、こればかりはなるようにしかなりません。でも、どんな北海道マラソンであれ、来年もきっとエントリーして、完走目指して頑張ることになると思います。昨日はもう走りたくないと思いましたが、今日になったらその辛さも忘れてしまいましたので・・・。次は札幌マラソン(ハーフ)です。
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